みやぎ生協から被災地・宮城のいまをお伝えします
「食べていただくことが石巻の水産復興につながる」    

   石巻の水産業者たちが、震災後、石巻市水産復興会議という組織を立ち上げ、一丸となって、真っ先に行なったのは冷蔵庫にあった製品の廃棄処理でした。各社から人が出て“今日はこの会社の冷蔵庫、明日はこの会社の冷蔵庫”と振り分けし、3カ月かけて処理しました。

「海があり、船があれば漁はできる。仮設の魚市場が建てば水揚げができる。しかし加工場がなければ出荷はできない。そこで加工場の冷蔵庫に残っていた製品を全部捨て、受け入れ環境を整えることから始めたんです」。渡波水産加工業協同組合の木村安之専務理事は、当時をそう振り返ります。

また渡波水産加工業協同組合は、国の補助を受けてすぐに冷凍冷蔵施設と製氷施設を復旧させ、組合員(水産加工業者)が氷の手当てや冷凍冷蔵庫の保管を心配することなく事業再開に打ち込めるようにしました。

一方で壁にも突き当たりました。「消費者の方々に宮城の水産物をたくさん食べてもらわなければならないのに、原発事故による風評被害が起きて不安だった」と話します。さらに組合員の間では施設整備に伴う二重ローン問題も浮上し、不安は増大しました。

 しかし震災から3年後に組合の青年部が活動を再開。交流する中で様々な意見が出てくるようになりました。木村さんはそこに希望を見ます。「水産加工は練り製品や塩蔵品など業種が多様で、他の工場の実情を知らない。だが青年部の活動で工場を行き来すれば作業内容なども自然とオープンになる。それが互いに刺激になる。議論が生まれ、行動に移していくこともできるようになった」。

 同組合は食育などのPR活動に取り組む一方で、消費者の声を聴きに行くことを今後の課題にしています。

「消費者の方々が何を求めているかを知り、さらに交流を通して我々の製品の良さを伝えていきたい」と木村さん。「消費者の方々に石巻の水産加工品をたくさん食べていただくことが復興につながる。PR活動と交流に取り組み、組合員の経営に貢献していきます」。

同組合の組合員は現在36社。その思いを反映した運営と新たな試みとのバランスを取りながら、復興の道をたどっています。

 

画像:渡波水産加工

木村安之専務理事(右)と菅原正浩参事。「時代の変化に対応していくには消費者の方々との交流が大切で、それが個々の組合員の経営維持につながる」と話します。

凍結室をはじめ立体自動冷蔵施設、自動製氷施設など最新の設備が整っています。